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ブルメイステル版の白鳥湖

2017.01.04 (Wed.) 23h32

現在、洗足学園のオーケストラで白鳥の湖3公演のシリーズ中です。プティパ版がベースかと思われます。(ピットから見えないので何とも言えませんが...)

白鳥湖には多くの版が残されていますが、私はその中でブルメイステル版が一番気に入っています。
ブルメイステル版の特徴としては、ドラマ性が高く、観る人を引きつける、原典に立ち返った版である、というのは良く言われることですが、私はそれに加えて最大の特徴は振り付けが極めて音楽的であるという点だと考えています。
曲の構造やフレージングなどに沿って全幕を通して上品に、的確に表現されているのです。楽器同士のやり取りにも当然の如く動作や仕草が対応しています。この視点から言えば、音楽に呼応しない無駄な動きは一切ありません。観れば観る程驚きます。
ブルメイステルはチャイコフスキーと血縁関係にあったようですが、ダンサー,振付け師であったとのこと、音楽理論をどこまで理解していたのか分かりませんが、少なくとも振付けからは「引き出し」の豊富さを感じます。白鳥湖の原典に立ち戻るべく研究に時間を費やしたというのもだてではないと。

ブルメイステル版は1953年、スターリン死没の年に初演。雪解けの時代はまだ先なので、ひょっとしたらソ連の社会主義リアリズムの影響もあるのかもしれない。悲劇で終わらない点に関しては少なくとも影響はありそうですね。
それにしてもネット上ではブルメイステルに関して日本語英語どちらも情報に乏しいし文献も間接的にしか触れられておらず、もどかしい思いです...



ボッレ&ザハロワ、スカラ座。第三幕での二人の踊りには魔力すら感じる。
演奏は、歌心いっぱいだし、各国特有のダンスのリズムが自然で的確。

特に第一幕は特に、描かれている世界が明るくのどかで、非常に平和的。。
世俗的な場面も上品に表されています。スカラ座ならではです。

蛇足
ところで、私は楽曲、特にメシアンやフォーレを聴くと絶えず変化する何か形のようなものが感じられる。その感覚に最も近いのがブルメイステル版の演出と振付けだと気付いた。形が見える感覚はあるものの具体的に「図形」が見える訳ではない。今までずっと謎だったが、少し分かった気がする。

表面上の結果は本質とかけ離れている

2016.10.25 (Tue.) 03h13

探求している中でのある種の直感で気付いた事については、ある意味ではおよそ全てが真実であるからそれについてとやかく言う外野には眼もくれず進む必要があります。外野に悪気があろうと無かろうと関係はありません。外野。自分以外の全てです。特に日本に居ると「こうあるべき」「それはやり過ぎでは?」と様々な声が足を引っ張ります。
「やり過ぎ」と思われる事に新しいものを「加えて」やり過ぎな面を「やり過ぎに思えなくする」という発想がそもそもないのです。常識の押し付け合いによって退化の具合を競い合っています。少し離れたところからみると、相当に滑稽です。今の日本は現状維持(要は怠けたいだけです)に美徳を見出すようで、結構ですが私は大嫌いです。

殻を破壊しても破壊しても真実の核は誰が何をしようと壊れようがない。本質を見極めるのみです。

聴き比べは感性を狂わせる

2016.05.15 (Sun.) 23h02

僕は音源の安易な聴き比べはあまり好きではない。

例えば、彩度の高い写真ばかりみた後にパステルカラーの写真を見たら色が薄いだけの物足りない作品に見えるのと同じで、その演奏に本来見出せるはずの魅力を、聴き比べすることで見失ってしまう。香水ならコーヒー豆という魔法の”お口直し”がある訳だが、クラシック音楽のコーヒー豆は何だろうか...

フランクの後にフォーレの後期作品を聴けば何だか煮え切らないような纏まりなく聞こえ、ベートーヴェンの後にサンサーンスの交響曲を聴くとベートーヴェンの二番煎じにしか聞こえない。それぞれに対しての脳内の引き出しがちゃんとあって、尚かつ切り替えができるならともかく、安易な聴き比べや聴き漁りは自ら感性を歪めてしまうことがある。コンサートやCDのプログラミングはキチンと考えられて組まれている。CDの聴き比べはそれを無為にする。

気分や体調、精神状態、そして心の成長と共に演奏や曲の好みは移り変わる。単に比較のために演奏や作品を聴き比べるのは、決して否定はしないしそういう楽しみ方もあると思う一方、あまりそれにハマると音楽の本質から遠ざかってしまうと思うのです。
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