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聴き比べは感性を狂わせる
2016.05.15 (Sun.) 23h02
僕は音源の安易な聴き比べはあまり好きではない。
例えば、彩度の高い写真ばかりみた後にパステルカラーの写真を見たら色が薄いだけの物足りない作品に見えるのと同じで、その演奏に本来見出せるはずの魅力を、聴き比べすることで見失ってしまう。香水ならコーヒー豆という魔法の”お口直し”がある訳だが、クラシック音楽のコーヒー豆は何だろうか...
フランクの後にフォーレの後期作品を聴けば何だか煮え切らないような纏まりなく聞こえ、ベートーヴェンの後にサンサーンスの交響曲を聴くとベートーヴェンの二番煎じにしか聞こえない。それぞれに対しての脳内の引き出しがちゃんとあって、尚かつ切り替えができるならともかく、安易な聴き比べや聴き漁りは自ら感性を歪めてしまうことがある。コンサートやCDのプログラミングはキチンと考えられて組まれている。CDの聴き比べはそれを無為にする。
気分や体調、精神状態、そして心の成長と共に演奏や曲の好みは移り変わる。単に比較のために演奏や作品を聴き比べるのは、決して否定はしないしそういう楽しみ方もあると思う一方、あまりそれにハマると音楽の本質から遠ざかってしまうと思うのです。
例えば、彩度の高い写真ばかりみた後にパステルカラーの写真を見たら色が薄いだけの物足りない作品に見えるのと同じで、その演奏に本来見出せるはずの魅力を、聴き比べすることで見失ってしまう。香水ならコーヒー豆という魔法の”お口直し”がある訳だが、クラシック音楽のコーヒー豆は何だろうか...
フランクの後にフォーレの後期作品を聴けば何だか煮え切らないような纏まりなく聞こえ、ベートーヴェンの後にサンサーンスの交響曲を聴くとベートーヴェンの二番煎じにしか聞こえない。それぞれに対しての脳内の引き出しがちゃんとあって、尚かつ切り替えができるならともかく、安易な聴き比べや聴き漁りは自ら感性を歪めてしまうことがある。コンサートやCDのプログラミングはキチンと考えられて組まれている。CDの聴き比べはそれを無為にする。
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