バルトークの世界

2023.10.01 (Sun.) 22h52

バルトークの世界をのぞく時、バルトークの世界もまたこちらをのぞいているのだ…なんて。

バルトークの作品にはもちろん学生時代からずっと取り組んできたし、好きだったが、いま、ひたすらアナリーゼしているとだんだんと気が変になりそうになる。開けてはならない箱を開けたような気分だ。

僕は以前、ある夢を2回見たことがある。
真夜中に、極めて巨大で真っ赤な満月と、形も実体もない怪物が星空を包み込むように浮かんでいる夢だ。
何が襲ってくるわけでも、何をされるわけでもない。そもそも形がない怪物とは何だ?
唯一言えることは、あれ以上恐ろしい夢は見たことないということ。
そしてその時の恐怖感がバルトークを勉強したり練習していると襲ってくるということ。



しかし、飲み込まれることは間違いなく、音楽家の使命ではない。

音楽家としての使命を全うしろ。

今日はhitaru定期だった。

2023.03.10 (Fri.) 00h29

鈴木雅明氏と札響のhitaru定期。矢代氏の交響曲(1958)とチャイコフスキーの6番symphony。鈴木マエストロとは私が芸高1年(2006年)の時に芸高定期演奏会にてbachのマニフィカートを振っていただいた時以来。ますます情熱的でフレッシュさが増されて楽しいコンサートだった。
2ndヴァイオリンに対し5,6回、より強い音圧と情熱的な表現をリクエストされた。ということで、私は初日に部屋の湿度を55%と多めにして楽器を放置してから松ヤニを多めに塗り、徐々に低湿度に戻していった。別の弓で倍音をピンポイントで鳴らし続ける。うちの楽器はそういうやり方すると音に張りが出ることが多い。ただ、冬は普段のリハーサル会場がかなりの低湿度なので、目論見どおりのコントロールは仕切れない。非常にもどかしい。湿度の急変の連続は、ヴァイオリンの音色にとって大敵である。

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札幌文化芸術劇場 hitaru。hitaru定期で定期的に演奏している。
ここは立体的になる対象の音の種類によくも悪くも偏りがあるように感じる。ある種の音はかなり豊穣に響く。その響きは第二の楽器としてのホールを名乗れるだけのクオリティがある。単なる劇場ではない。ただバランスはかなり工夫が必要だから曲を選ぶかもしれない。工夫が必要という意味においてはサントリーと共通する。サウンドは似ていないが。でもキタラもここもサントリーも素晴らしいホールであり、奏者としてはそれぞれに好きだ。

札響定期 東京公演2023、サントリーホールの音響について

2023.02.12 (Sun.) 13h13

札響東京公演(サントリー定期)にご来場いただき、ありがとうございました。
自分は自分の理想のオケを作り上げるために命の全てをかけています。
いつも通り、演奏に全てを注ぎました。
残念なことに、シューベルト以外の全曲、降り番が回って来ました。東京公演で悲しいことこの上ない。
G.P.聴きましたがみなさん大変素敵でした。


2月9日(木)19時
マティアス・バーメルト(指揮)
カール=ハインツ・シュッツ(フルート)
吉野 直子(ハープ)
武満 徹/雨ぞふる
モーツァルト/フルートとハープのための協奏曲
休憩20分
シューベルト/交響曲「ザ・グレイト」


・第二の楽器としての音楽ホール


サントリーホールの音響は健在でした。実際の何倍もの広さを感じさせてくれる、瑞々しく輝かしい響き。思わずうっとりしてしまう。笑
ただ、私たちが普段演奏している、札幌コンサートホール(キタラ)とは構造が異なるため、発音や解像度、強調する倍音の域などのパラメータをかなり変える必要があります

サントリーの舞台上で感じるフィードバックは凝縮して聴こえます。アンサンブルは幾分し易くなりますが、ある特定の音色や音の解像度に関しては、舞台上の聴こえ方は全く当てになりません。しかし高音域はほぼそのまま抜けていきます。この辺りの癖は強い。

クラシック音楽専用のホールはいわば”第二の楽器”です。楽器の魅力を引き出し、味方につける。この魅力は演奏家の責務であり、醍醐味であると自負しています。
個人的にはこのホールは大好きです。


・伝統の本質は革新の連続である


現代のオーケストラは、解釈や流派の多様化と様々なジャンルとの相互作用によって、オケとソロの垣根というものは徐々に薄れてきています。言い換えれば奏者一人一人のレベルが急激に上がっているとも言えます。ソリストとして経済的に自立することは、現代では弾けるだけでは困難です。ベルリンフィルは各国のオケのコンサートマスターやソリストを集めたオーケストラですが、現代では実態として同様のオケが増えています。ソリスティックな要素を持つ人たちが集まることでできる音楽というものがあり、これは現代ならではの、モダンな方向性の一つだと思います。

私にとっての理想の西洋音楽は能動的にコミュニケーションし、足し算していくものです。アンサンブルにおいては首席のみならずTuttiでも同様ですし、いわゆるドイツ音楽においては思想的にも特にその色合いは濃いものが多いと考えています。

オーケストラにおいて、各々の役割とその在り方は非常に流動的だし、そうあってほしいと願っています。基本構造の一部として、パッセージ、楽器、パートごと、席次ごとの役割と持ち場はありますが、それは初歩的な話なのですよね。役割はあくまでも既存の手段であり、目的は全員で一つの音楽を作り上げることです。

私は、音楽の方向性や理想に少しでも近づけることができる方法を限界まで探っています。

札響は、私を受け入れ一緒に新しい世界を切り開いていけている。このような日本のクラシック界の明るい未来を信じられる貴重な楽団だと思います。


・蛇足


ところで、私は跳躍の音程などで音が先に見えることがあります。アンサンブルでも、木管などは視覚では完全に見えないが他の楽器の呼吸や入るタイミングが目の前に見えることが多いので合わせやすいです。実際に何か見えるわけではないのですが...どう表現したら伝わるのか分かりません。。特に、意思のある演奏なら、一瞬先の時間から、音が向かってくるのが感じられます。未来ではないはずですが、先から来る音に合わせるとザッツが合うので、先の時間から来ていると認識するほかありません。